風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

自ら進んでささげる者を、神は喜ばれて

あなたの上には主が輝き出で、
主の栄光があなたの上に現れる。
イザヤ書60:20(1/31の週の聖句)

 

民は彼らが
自ら進んで主にささげたことを
喜んだ。
歴代誌上29:9

 

喜んで与える人を
神は愛してくださるからです。
Ⅱコリント9:7

 

 マタイ17:1~9
 Ⅱコリント4:6~10
 出エジプト3:1~8a(8b、9)10(11~12)13~14(15)

 詩18:1~20(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/31;Ⅴ日曜)

 


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちの上に、ご自身の栄光を輝かせてくださるのですね。

自ら進んで、喜んで与える人を喜ばれて。


 ダビデ王が、民の長たちに、
エルサレム神殿建設のための献げものを呼びかけたとき、
彼らは自ら進んで献げたので、
民は喜んだのだそうです。

 

 【父である神】も、【御子である神】が、
ご自身の思いのとおりに、自ら進んで、
人間イエスとして人の世に降り、
すべての人間の身代わりとなって
十字架刑での死を受けようとしておられることに対し、
お声をかけられたのだそうです。
「これはわたしの愛する子。
わたしはこれを喜ぶ。
これに聞け」(マタイ17:1~9)と。

 

 そして、私たちも、
この、イエスの死を身に帯びていくとき、
神は、私たちの身に、
エスのいのち現れるようにしてくださるのだそうです。(Ⅱ4:コリント6~10)

 

 

 自分の力で、同胞のイスラエル人を
エジプトの圧政から救い出そうとしたモーセ
 

しかし、民からは、
「だれがおまえを、指導者やさばき人として
私たちの上に任命したのか」と拒絶され、
エジプト王の手から逃れて、

ミディアンの地で、義父イテロの羊を飼っていたモーセ

 

 彼が、羊を導いて神の山ホレブに来て、
柴の茂みが燃えているのに燃え尽きないでいるのを見、
「近寄って、この大いなる光景を見よう。
なぜ柴が燃え尽きないのだろう」と近づいたとき、

 

 神は、このモーセに、
「『わたしはある』という者である」と名乗られ、
イスラエルの民をエジプトの奴隷生活から救い出し、
広く良い地、乳と密の流れる地、
カナン人ヒッタイト人、アモリ人、ペリジ人、
ヒビ人、エブス人のいる場所に、彼らを導き上れ」と語りかけ、
モーセをエジプトの王ファラオのもとへ
遣わされたのだそうです。(出エジプト3:1~15)

神は、彼らをご自身の喜びとされて。(詩18:20)

 

 この新しい週、
私たちも喜んでくださって。

 

 

 

 

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