風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

預言の言葉をしっかりと握って

(ことば)は肉となって、
私たちの間に宿られた。
私たちはその栄光を見た。
ヨハネ1:14a

 

いかに幸いなことか、
主に信頼をおく人は。
詩40:5

 

私たちには、預言の言葉は
いっそう確かなものとなっています。
夜が明け、明けの明星が
あなたがたの心の中に昇るときまで、
暗いところに輝くともし火として、
どうかこの預言の言葉に
留意していてください。
Ⅱペトロ1:19

 

 ルカ2:(22~24)25~38(39~40)
 詩2(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句12/27;Ⅳ日曜)

 


 ヨハネは言うのですね。
「私たちは、その栄光を見た」と。

 

 イエスこそ、言(ことば)である神、
【父である神】の御思いを、
そのとおりに表現しておられる方だ、と。

 

 その方が人間と同じ肉体をとって、
人間の世界に来てくださったのだ、と。
預言のことばのとおりに。

 

 旧約聖書に書かれている
メシヤ(キリスト)についての預言は、
エスによってことごとく成就したのだそうです。
また、これから先の事への預言も、必ずそのとおりに成る、と。

 

 だから、暗いこの世の中にあって、
聖書の預言のことばにしっかりと目を留めているように、と。

 

 神から
「キリストを見るまでは決して死を見ることはない」と告げられ、
エルサレム神殿で、
今日か、今日かと待ち望んでいたシメオンが、
両親に抱かれて来た赤ん坊のイエスを見、
これを腕に抱き、
「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、
しもべを安らかに去らせてくださいます。
私の目があなたの御救いを見たからです。
あなたが万民の前に備えられた救いを。
異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を」と、
神をほめたたえたように。(ルカ2:25~32)

 

 

 この方、イエスについて【父である神】は言われるのですね。
「わたしが、わたしの王を立てたのだ。

わたしの聖なる山、シオンに。

 

 あなたはわたしの子。
わたしが今日、あなたを産んだ。
わたしに求めよ。
わたしは国々をあなたへのゆずりとして与える。
地の果て果てまで あなたの所有として。
あなたは、鉄の杖で彼らを牧し、
陶器師が器を砕くように粉々にするそ。」

 

 それゆえ今、王たちよ 悟れ。
地をさばく者たちよ 慎め。
恐れつつ 【主】に仕えよ。

おののきつつ震え 子に口づけせよ。

主が怒り お前たちが道で滅びないために。

御怒りが すぐにも燃えようとしているからだ。

幸いなことよ すべて主に身を避ける人は、と。(詩篇2:6~12)

 

 私たちも、この方に信頼し、
この方のことばをしっかり握って、
この方の栄光を見ている者に。

今日も。

 

 

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平安の中で眠り、希望の中で起きられるように、と

身を横たえて眠り、
私はまた、目を覚ます。
主が支えてくださいます。
詩3:6

 

はっきり言っておく。
子どものように
神の国を受け入れる人でなければ、
決してそこに入ることはできない。
マルコ10:15

 

 イザヤ7:10~14
 ルカ1:57~66(通読箇所)  
   (ローズンゲン日々の聖句12/23;水)

 


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が、
私を支えてくださる方。
 

 それで私は、安心して眠り、
また、希望をもって起き上がることができます。
小さい子どもが親の世話をそのまま受け入れているように、
私たちがこの方のなさることをそのまま受け入れることが、
神の国、この方の統治の中に身を置くことになるようです。

 

 ユダの王アハズがのとき、隣国が今にも攻め登って来用としていたのだそうです。

その時、神である主は、そのことは決して起こらないと言われ、
また、そのしるしを求めよと言われたのですが、
アハズ王は、「私はそれを求めて、主を試みることはしません」と
答えたのだそうです。

 

 「主を試みてはならない」という律法の教えによる自分の信仰が、
神から直接「しるしを求めよ」と言われたことよりも優先していた、
ということでしょうか。

 

 こういう、自分の信仰、自分の考えを
神の御思いよりも先だてる大人びた心が、
神の国を拒否することになるようです。
幼な子ではなく、大人びた心に。

 

 そのような、自分の理性の判断で神を受け入れようとしない私たちに、
神御自身のほうで、一つのしるしを与えてくださったのだそうです。

 

 「処女がみごもり、男の子を産む。
その名はインマヌエル(神が共にいてくださる)と呼ばれる」(イザヤ7:10~14))との。
 

 天の神、主が私たちを救ってくださるしるしとして、
神御自身が立ててくださったしるし。

 

 確かに、イエスは、
「女の子孫」として(創世記3:15)、処女マリアから生まれ、
「インマヌエル」という名で呼ばれた方なのだそうです。

 

 【父である神】は、この方、イエスによって
私たちを救おうと計画しておられるのだそうです。

 

 御自身の支えの中で、
私たちが安心して伏し、

また、安心して起きられるようにしようと。
今日も。



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見ておられたのだそうです。胎児の私の人生のすべてを

胎児であった私を
あなたの目は見ておられました。
わたしの日々は
あなたの書にすべて記されている。
まだその一日も造られないうちから。
詩139:16

 

あなたがたの名が
天に記されていることを
喜びなさい。
ルカ10:20

 

 イザヤ書11:10~13
 ルカ1:18~25(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句12/19;土)

 


 見ておられたのだそうです。この方は私を。
まだ、私がこの世に生まれる前、
母親のお腹の中にいるときに。すでに。
私が生きる、その一生のすべてを。

 

 なぜなら、この方が私たち人間や
すべてのものの造り主であり、
その全知の御力で、私の一生を予知しておられる方
なのだそうですから。

 

 そして、イエスが私たちすべての人間の身代わりとなり、
十字架刑で死刑を受けてくださったことによって、
私たちの「背き」、「的外れ(ハマルティア)」の責任が
果たされたものとしてくださるのだそうです。

 

 それで、私たちは無罪放免になるのだそうです。
それで、私たちは、

今からの自分の歩みを自分で決めることになるのですね。

 

 解放された、元の自分の生き方、
この方に背いた、「的外れ」の生き方に戻るか、
 

この方の愛の内に自分の身を置いて、
この方と思いを一つにして生きる生き方を選び、
天の、「いのちの書」に名を記された者、
天の御国の国籍を持つ者としていただくか、を。

 

 

 その日になると、
エッサイの根はもろもろの民の旗として立ち、
国々は彼を求め、
彼の留まるところは
栄光に輝く(イザヤ11:10)ことになるのだそうです。

 

 この方のことばは、ご計画の時が来れば、必ず、
そのことばのとおりに実現するのだそうですから。(ルカ1:20)

 

 私たちも、この方のことばに留まり、
天に名が記される、
この方と思いを一つにして行く人生を選び取って。

今日も。

 

 

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「そうです」と言えば、そのとおりに「そうである」方が呼びかけてくださって

主の言葉を聞け。
主はこの国の住民を告発される。
この国には、誠実さも慈しみも、
神を知ることもないからだ。
ホセア書4:1

 

悔い改めよ。
天の国は近づいた。
マタイ3:2

 

 Ⅱコリント1:18~22
 ルカ1:1~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句12/18;金)

 


 この国に、誠実さも慈しみもなく、
神を知ろうともしないことを、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
悲しんでおられるのだそうです。

 

 ご自身に背を向け、
自分の思いのままにさまよい出ている私たちに、
自分のほうに向きなおってほしい、
心の通い合う、思いを一つにし合う関係、
天の御国に入ってほしいと願って。

 


 この方は、わたしたちのように、「そうです」と同時に
「違います」というようなお方ではなく、
話されたことばのとおりの
「そのとおり」の方なのだそうです。

 

 この方は、私たちが神の国(統治)に入っていることの証印、
保証として、
「聖である霊】と呼ばれる方を私たちに
遣わしていてくださるのだそうですから。(Ⅱコリント1:1~18)

 

 この方、【聖である霊】と呼ばれる方が
私たちに来てくださるためには、
私たちの「背き」、「ハマルティア(的外れ)」が
解決されなければならなかったのだそうです。

 

 「背き」、「的外れ」の責任が果たされないままの私たちに
この聖なる方が来られるなら、
私たちはたちどころに滅びてしまうほかないのだそうですから。

 

 それで、【父であある神】は、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣される前に、
救い主である方を派遣して、
私たちの「背き」、「的外れ」の責任が果たされているように
しなければならなかったのだそうです。

 

 そして、【父である神】は、
その救い主が人間の世に来られる前に、
「荒野に呼ばわる者の声」として、
道ぞなえをする者が現れると
預言しておられたのだそうです。(イザヤ40:3)

 

 【父である神】は、その言葉のとおりに、
ユダの王ヘロデの時代(今から2000年余り前)に、
祭司ザカリヤとエリサベツという、
子どもを産めない老齢の夫婦を通して、
「荒野に呼ばわる者の声」として、
バプテスマのヨハネを生まれさせようとされ、
夫のザカリヤにそのことを告げられたのだそうです。

 

 これらのことは、よく考えられた作り話ではなく、
この人間の歴史の中で起こった事実の目撃者の証言として
ルカはこれを記録しているというのですね。(ルカ1:1~18)


 私たちも、
この、ことばのとおりに在る方の呼びかけに応えて。

この方と思いを一つにしていく関係へ。

今日も。

 

 

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私たちの将来には、希望があるのだそうですから

あなたの未来には希望がある、
と主は言われる。
エレミヤ書31:17

 

見よ、
わたしは戸口に立って、たたいている。
だれか私の声を聞いて
戸を開ける者があれば、
わたしは中に入って
その者とともに食事をし、
彼もまた、わたしと共に
食事をするであろう。
黙示録3:20

 

 ルカ1:26~38
 イザヤ書66:18~24(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句12/17;木)

 


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が言われるのですね。
「あなたの将来、未来には希望がある」と。

 

 天の、【神の御子】という栄光の座を後にして人となられて、
人の世に来られ、
私たちが問われるはずの「背き」、
「ハマルティア(的外れ)」の責任をご自分の身に負って、
神に背き、神に呪われた者となって、
十字架刑での死刑を受けてくださった方、イエス

 

 このイエスは、死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、雲に迎えられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたのだそうです。

 

 そのイエスが、【父である神】の右の座にあって、
私たちに、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださる、
というのですね。

 

 この方は私たちの心のドアをノックしていてくださる。
それで、そのことに気づいてドアを開けるなら、
この方は私たちの内に入ってくださって、
食事を一緒にしてくださる。
【父である神】の御思い、そのみことばをともにするよ、と
仰られるのですね。

 

 マリアが、御使いガブリエルから、
「あなたは身ごもって、男の子を産みます。
その名をイエスとつけなさい。
その子は大いなるものとなり、いと高き神の子と呼ばれます。

 

 また神は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
彼はとこしえにヤコブの家を治め、
その支配に終わりはありません」と告げられた時、

 

まだ、結婚もしていなくて、
「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。
私は男の人を知りませんのに」というしかないマリア。

 

 「聖霊があなたの上に臨み、
いと高き方の力があなたを覆います。
それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。
神にとって不可能なことはなにもありません」との
ガブリエルのことばに、
「ご覧ください。私は主のはしためです。
どうぞ、あなたのおことばどうり、この身になりますように」と
自分を明け渡したマリアのように。(ルカ1:26~38)

 

 神である主が言われるのですから。
「わたしが造る新しい天と新しい地が、
私の前にいつまでも続くのと同じように、
あなたがたの子孫とあなたがたの名もいつまでも続く。
すべての肉なる者がわたしの前に来て礼拝する」と。

 

 その、将来、その未来の希望の中で。
今日も。

 

 

 

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世々にわたって秘められた計画を、実行してくださって

あなたは奇跡を行われる神、
諸国の民の中に
御力を示されました。
詩77:15

 

神の聖なる者たちに明らかにされた
秘められた計画が
異邦人にとって
どれほど栄光に満ちたものであるかを
神は彼らに知らせようとされました。
その計画とは
あなたがたの内におられるキリスト、
栄光の希望です。
コロサイ書1:26~27

 

 イザヤ書45:1~8
 イザヤ書66:5~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句12/16;水)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、

くすしいみわざを行われる方。
国々の民の中で御力を現される方。

 

 この方は、世々の昔から
多くの世代にわたってかくされて来たご自身のご計画を
実行なさったのだそうです。

 

 そのご計画は、「的外れ」になり、さ迷い出てしまった人間を
最初の創造の目的のとおりに回復しようというもの。

 

 この方は、
「われわれのかたちとして、
われわれの似姿に」(創世記1:26)と願って
人間をお造りになったのだそうです。

 

 われわれ、
【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
それぞれが自分かってに、
自分の思うように行動するのではなく、
愛し合うゆえに、自由意思で、自発的に
思いを一つにしていらっしゃる方。

 

 【御子である神】は、自分の思いではなく、
【父である神】の御思いが成ること願い、
【父である神】の御思いのとおりに行動されて。(ヨハネ6:38、8:28、14:10)

 

 そして、【聖である霊】と呼ばれる神も、
【父である神】、【御子である神】と
思いを一つにしておられるのだそうです。(ヨハネ16:14)

 

 「神は愛です」と言われるとき、
それは、神が私たち人間を愛していてくださるということの前に、
神御自身の内に愛し合う関係があるということなのでしょうか。


 そして、その、神の、愛し合う関係、
愛の故の、一つになっている関係に加わる者をと望まれて、
最初の人アダムを造られて。

 

 その、神の御思いのとおりに造られたアダムでしたが、
神との一つの関係に満足せず、
もっと素晴らしい者に、神の上に位置する者になろうとして、
彼は、「神の一人のようになり、
善悪を知る者」となったのだそうです。

 

 自分の理性を神とし、自分の理性による善悪の判断を

神の判断夜も上に置く者に。

 

 「神との一つ」という神の創造の目的から
「ハマルティア(的外れ)」な者に。「(創世記3:22)

 

 自分よりもすぐれた者をねたみ、
これを殺すようにも。(創世記4:1~7)

 

 そして、その心に思い図ることがみな、
いつも悪に傾いて。(創世記6:5)

 

 この、「ハマルティア(的外れ)」になり、
破滅に向かうばかりの私たち人間を、
この方は、なお、愛し、大切に思い、
最初の創造の目的に取り戻そうと
計画されていたのだそうです。

 

 【父である神】の御思いを受けて、
【御子】である方が人となって人の世に来られ、
すべての人間の身代わりとなって死刑を受けるという。

 

 そして、「ハマルティア(的外れ)」の責任が果たされたうえで、
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方が
受け入れる者に来てくださり、
この方が、【父である神】の御思いを私たちの心に置き、
書きしるしてくださって、
私たちの内に【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者が【父である神】と一つ思いになって
生きていけるようにしようと。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)


 そのご計画の時が満ちて、
【御子である神】が、
「女の子孫」(創世記3:15)である人間イエスとして、
人の世に生まれられ、
およそ33歳の頃、
ユダヤの指導者たちの妬みにより、
ローマ兵によって十字架刑で処刑されたのだそうです。

 

 そして、【聖である霊】と呼ばれる方が来られ、
約束のことばのとおりに
私たちが【父である神】と一つ思いになって生きていけるように
してくださるのだそうですから。

 

イスラエルの国籍がなく、
もろもろの契約とも縁がなく、
神なく、望みなく生きて来た私たち異邦人を
名を呼んで呼び出し(イザヤ45:4)、
神を愛する者へ、
愛においてこの方と思いを一つにする者へと。

 

 神の子の栄光で輝かせ、
御国を相続する者ともして。

 

 川のように繁栄を与え、
あふれる流れのように国々の栄光を与えようと。(イザヤ66:12)

 

 わたしたちにも。
今日も。

 

 

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約束のことばのとおりに、私たちに来て、解放してくださり

ソロモンの祈り:
あなたはそのしもべ、
私の父ダビデになさった約束のとおり、
御手をもって
成し遂げてくださった。
列王記上8:24

 

ほめたたえよ。
イスラエルの神である主を。
主はその民を訪れて開放し、
我らのために救いの角を、
しもべダビデの家から起こされた。
ルカ1:68~69

 

 マタイ3:7~12
 イザヤ書66:1~4(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句12/15;火)

 


 天の神、【主】、
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名乗られる方(出エジプト3:14)は、
ダビデ王に約束されたのですね。

 

 「わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場から取り、
わが民イスラエルの君主とした。
あなたの家とあなたの王国は、
あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、
あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」(Ⅱサムエル7:8、16)と。

 

 そして、【神の御子】である方がその約束のとおりに、
このダビデ王の子孫の一人、
ナザレに住む貧しい処女マリアの胎を通して、
とこしえの王であり、
すべての人間の救い主であるイエスとして、
人となられたのだそうです。

 

 この方がおよそ30歳の頃、
王であるキリスト、救い主としての活動に入られるとき、
イザヤの預言のとおりに(イザヤ40:3)、
「荒野に叫ぶ者の声」として、
祭司ザカリヤの子、ヨハネが荒野に現れ、
神に立ち返るようにと人々に語り、
悔い改めのバプテスマを授けたのだそうです。

 

 彼は言いました。
「私の後に来られる方は私より力のある方です。
私には、その方の
履物を脱がせて差し上げる資格もありません。
その方は聖霊と火で
あなたがたにバプテスマを授けられます」(マタイ3:11)と。

 

 

 神である主は言われます。
「わたしが呼んでも誰も答えず、
わたしが語りかけても聞かず、
私の目に悪であることを行い、私の喜ばないことを選ぶ。

 

 わたしが目を留める者、
それは、貧しい者、霊の砕かれた者、
わたしのことばにおののく者だ」(イザヤ66:2、4)と。

 


 この方は、私たちに来てくださって、
私たちを「的外れ」な生き方から解放し、
この方と思いを一つにして生きる者に、
この方がしようと思われることをしていく者に
してくださるのだそうです。
約束のことばのとおりに。

今日も。

 

 

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