風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

大宴会に、あなたにも出てほしい、と

主なる神は言われる。
既に集められた者に、
更に加えて集めよう、と。
イザヤ書56:8

 

私たちの救い主である神は、
すべての人が救われて
真理を知るようになることを
望んでおられます。
Ⅰテモテ2:3~4

 

 使徒10:37~48
 ルカ4:31~37(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/11;月・祝)

 


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
ご自分の家族として集めた人たちに加えて、
更に加えようと思っておられるのですね。

 

 すべての人が、真理、本当のこと
遣わしたイエスが何者であるか、誰であるかを知り、
救い主として受け入れ、救いに与り、
ご自分の家族になってくれるように、と。

 

 

 ペテロは、このイエスについて証言しています。
「あなたがた(ローマ軍イタリア隊の百人隊長コルネリウスとその家に集まっていた人たち)は、
ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、
ガリラヤから始まって、
ユダヤ全土に起こった事柄をご存じです。

 

 それは、ナザレのイエスのことです。
神はこのイエス聖霊と力によって油を注がれました。
エスは巡り歩いて良いわざを行い、
悪魔にしいたげられている人たちをみないやされました。
それは神がイエスとともにおられたからです。
 

 私(ペテロ)たちは、
エスユダヤ人の地とエルサレムで行われた、
すべてのことの証人です。

 

 人々はこのイエスを木にかけて殺しましたが、
神はこの方を三日目によみがえらせ、
現れさせてくださいました。
民全体にではなく、
神によって前もって選ばれた証人である私たちに
現れたのです。

 

 私たちは、イエスが死者の中からよみがえられた後、
一緒に食べたり飲んだりしました。

 

 そしてイエスは、ご自分が、
生きている者と死んだ者のさばき主として
神が定めた方であることを、
人々に宣べ伝え、証しするように、私たちに命じられました。

 

 預言者たちもみなイエスについて、
この方を信じる者はだれでも、
その名によって罪の赦しが受けられると、証ししています。」

 

 そして、ペテロがこれらのことを話し続けていると、
みことばを聞いていたすべての人、一人一人の上に
【聖である霊】と呼ばれる方が来られたのだそうです。(使徒10:37~44)

 

 

 このイエスが、ある安息日に、ガリラヤの町カぺナウムで
人々を教えておられたのだそうです。

そこの会堂に、汚れた霊につかれた人がいた。
彼は大声で叫んだ。
「ああ、ナザレの人イエスよ、
私たちと何の関係があるのですか。
私たちを滅ぼしに来たのですか。
私はあなたがどなたなのか知っています。神の聖者です。」

 

 イエスは彼を叱って、
「黙れ。この人から出て行け」と言われた。
すると悪霊は、その人を人々の真ん中に投げ倒し、
何の害も与えることなくその人から出て行った。
 

人々はみな驚いて、互いに言った。
「このことばは何なのだろうか。
権威と力をもって命じられると、
汚れた霊が出て行くとは。」(ルカ4:31~36)

 

 

 神である主は、すべての人が、
エスに関わる真理、本当のことを知って、救いを受け取り、
ご自身の家族となって、
神の国での大宴会の席、全部が埋まってほしいと
願っておられるのだそうですから。

今日も。

 

 

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目から、耳から入れるものによって、心は作られるのだそうですから。

神の霊によって導かれるものは皆、
神の子なのです。
ロマ書8:14

 

むなしいものを見ようとすることから、
私のまなざしをそらせてください。
詩119:37

 

あなたがたは、
主キリスト・イエスを受け入れたのですから、
キリストにあって生きなさい。
キリストに根を下ろして造り上げられ、
信仰に堅く立ちなさい。
コロサイ書2:6~7

 

 マタイ3:13~17
 イザヤ書42:1~9(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/10;Ⅱ日曜)

 

 

 イエスの十字架刑での死と
新しいからだへの復活、
【父である神】の右の座への復帰により私たちに来てくださる
【神の霊】、【聖である霊】と呼ばれる方。

 

 この方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いによって生きていく者は、
神の子の実質を生きる者なのですね。

 

 その人は、むなしいもの、
死によってこの世に置いていくしかないものを
見ようとすることから、意識的に目をそらし、
見ようとしなくなる、
耳に入れようとしなくなり、
永遠の世界、神の国に通じることを見、
聞くようになるのだそうです。

 

 私たちの身体が食べた物によって作られて行くように、
心も、目や耳から心に入れることによって
作られていくことになるのだそうですから。

 

 聖書のメッセージにより、
エスを救い主、主キリストとして受け入れた者は、
エスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いの中を生き、
この方の御思いの中に根を下ろし、
いよいよこの方への信頼を強くしていくのだそうです。

 


 このイエスこそ、【父である神】から、
「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」との
お声がかかった方。(マタイ3:17)

 

 また、
「見よ。わたしが支えるわたしのしもべ、
わたしの心が喜ぶ、わたしの選んだ者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は国々にさばきを行う。
 

彼は叫ばず、言い争わず、
通りでその声を聞かせない。
痛んだ葦を折ることもなく、
くすぶる灯芯を消すこともなく、
真実をもって裁きを執り行う。


衰えず、くじけることなく、
ついには地にさばきを確立する。
島々もそのおしえを待ち望む。」

 

天を創造し、これを延べ広げ、
地とその産物を押し広げ、
その上にいる民に息を与え、
そこを歩む者たちに霊を授けた神なる【主】は
こう言われる。
「わたし、【主】は、義をもってあなたを召し、
あなたの手を握る。
あなたを見守り、
あなたを民の契約として、国々の光とする。


こうして、見えない目を開き、
囚人を牢獄から、
闇の中に住む者たちを獄屋から連れ出す。


わたしは【主】、これがわたしの名。
わたしは、わたしの栄光をほかの者に、
わたしの栄誉を、刻んだ像どもに与えはしない。
初めのことは、見よ、すでに起こった。
新しいことをわたしは告げる。
それが起こる前にあなたがたに聞かせる」(イザヤ42:1~9)
とイザヤによって預言されていた方。


私たちも、この方によって
【父である神】の御思いの中を生きるのですね。

この新しい週も。

 

 

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神のなさることについては、この方と論じてみたいこともありますが

主よ、私があなたと争いたくても、
正しいのはあなたです。
それでも、私はあなたと
裁きについて論じたい。
エレミヤ書12:1

 

最初に雇われた人たちが来て、
もっと多くもらえるだろうと思っていた。
しかし、彼らも1デナリオンずつであった。
それで、受け取ると、主人に不平を言った。「最後に来たこの連中は、
1時間しか働きませんでした。
まる一日、暑い中で
辛抱して働いていた私たちと、この連中と
同じ扱いをするとは。」
マタイ20:10~12

 

 エフェソ書4:17~24
 ルカ:4:22~30(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/9;土)

 

 
 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)のなさることには、
私たちに理解のできないことがあります。

 

 エレミヤは神に向かって言いました。
「なぜ、悪者の道が栄え、
裏切りを働く者が、みな安らかなのですか。
私はそれをあなたと論じたい」と。

 


 イエスは次のようなたとえ話をされました。
ぶどう園の主人が、朝早く、
ぶどうの収穫のための労働者を雇うために市場に出て行き、
1日、1デナリの約束でぶどう園に送った。
 

9時頃、市場に行ってみると、
別の人たちが何もしないで立っているので、
「あなたがたもぶどう園に行きなさい。
相当の賃金を払うから」と、ぶどう園に送った。

12時ごろ市場に出て行って、同じようにした。
5時ごろ出て行ってみると
別の人たちが立っているのを見つけ、
「なぜ、一日中何もしないでここに立っているのですか」と
問うと、
彼らは、「だれも雇ってくれないからです。」

 それで、主人は言った。
「あなたがたもぶどう園に行きなさい。」

 

 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に言った。
「労働者たちを呼んで、
最後に来た者たちから始めて、最初に来た者たちにまで
賃金を払ってやりなさい。」

 

 そこで、5時ごろに雇われた者たちが来て、
それぞれ、1デナリずつ受け取った。
最初に来た者たちが来て、
もっと多くもらえるだろうと思ったが、
彼らが受け取ったのも1デナリずつであった。

 

 そこで、このように、主人に文句を言った。
主人はその一人に答えて、
「友よ、私はあなたに不当なことはしていません。
あなたは私と、1デナリで同意したではありませんか。
あなたの分を取って帰りなさい。
私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。
自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。
それとも、私が気前がいいので、
あなたはねたんでいるのですか」(マタイ20:1~15)。

 

 このような神の扱いも、
私たちには何となくに落ちなくって、
神と論じてみたいことですね。

 

 この方は、イエスが受けられた十字架刑での死刑によって、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
死刑が終わっているもの、
死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そして、墓に葬られたイエスの、
三日目の死人の中からの新しい霊のからだへの復活、
そして、天の【父である神】の右の座に復帰されたことで、
もう一人の助け主、【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちに派遣してくださるのだそうです。

 

 この方によって私たちの心に

【父である神】の御思いを置き、書き記して、
私たちの内に【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者が【父である神】と
一つ思いで生きることができるように
していてくださるのだそうです。

 

 それで、言われるのですね。
「あなたがたの以前の生活について言えば、
人をあざむく情欲によって腐敗していく古い人を脱ぎ捨て、
霊と心において新しくされ続け、
真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた
新しい人を着るようになります」(エペソ4:22~24)と。

 

 私たちも、天の神、【主】のなさることには
納得のいかないこともありますが、
エスの死によって、
私自身の〔生まれたときからの私〕という霊を
死んだものと認め、
 

エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】と思いを一つにしながら生きることが
できるのだそうです。
今日も。

 

 

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わが岩、わが救いである方を見る者ともしてくださって

神は私の岩、私の救い、わが砦。
私は動揺しない。
詩62:7

 

萎えた手と弱くなったひざを
まっすぐにしなさい。
自分の足で
まっすぐな道を歩きなさい。
ヘブル書12:12~13

 

 民数記24:15~17a(17b~19)
 ルカ4:14~21(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/8;金)

 


 イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)の御思いを
心に置いていただき、
この方と思いを一つにし、
この方の御思いが実現することを求めて行く
生き方をしていく者は、
いろいろ動揺することがあっても
倒れてしまうことはないというのでね。

 

 この方が、私たちの、力のえた手を、
衰え弱ったひざを強くし、
まっすぐにしてくださるのだそうですから。

 

 目の開かれた者とし、
神の御告げを聞く者、
いと高き方の知識を知る者、
全能者の幻を見る者ともし、

ヤコブから進み出る星、
イスラエルから起こる一本の杖である方を
見る者ともしてくださって。(民数記24:15~17)

 

 紀元前700年頃、イザヤを通して、
「主の霊が私の上にある。
貧しい人に善い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、
わたしを遣わされた。

捕らわれ人には解放を、
目の見えない人には目の開かれる言葉を告げ、
虐げられている人を自由の身とし、
主の恵みの年を告げるために」と預言されたその方、
エスを見る者、
すべてのことをこの方との関わりの中でしていく者とも
してくださって。(ルカ4:14~21)

 今日も。

 

 

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神の御思いが私たちの内にあり、私たちの思いが神の内にあるようにしていただいて

私はあなたのもの。
どうかお救いください。
詩119:94

 

あなたがたがわたしの中におり、
わたしの言葉が
あなたがたのうちにとどまるならば、
望むものを何でも願いなさい。
そうすればかなえられる。
ヨハネ15:7

 

 Ⅰヨハネ3:1~6
 ルカ4:1~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/7;木)

 


 ぶどうの木の枝が、
そのぶどうの木と一体であるように、
私たちが、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)の中におり、
その方の御思いが私たちの内にとどまっている、
ということが起こるのですね。

 

 イエスが私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けてくださり、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活され、
天の【父である神】の右の座に帰られたこと、

 

 そして、その位にあって
私たちにもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方が、【父である神】の御思いを
私たちの心に置いてくださることによって。

 

 このことによって、
私たちがこの方のものとなり、
神の子の身分を与えていただき(Ⅰヨハネ3:2)、
この方の御思いが
心の内にある者としていただけるのだそうですから。

 

 そして、【父である神】は、
私たちを通してしようと思われることを
私たちの心の思いとして起こし、
それを私たちが願い求めていくことで、
御思いを実現なさるのだそうですから。

 


 私たちが、
心に浮かぶ思いの一つ一つをこの方に申し上げ、
聞いていただき、知っていただいて、
私たちの思いがこの方の御思いの中にあるようになり、

 

エスを通して私たちに来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
この方の御思いを心に置いていただき、
書き記していただいて、
この方の御思いが私たちの内にあるように
していただけりるのだそうですから。
今日も。

 

 

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いかに幸いなことか。この方に信頼するその人は。

万軍の主よ、
あなたにより頼む人は、
いかに幸いなことでしょう。
詩84:13

 

学者たちは
その星を見て喜びにあふれた。
家に入ってみると、
幼子は母マリアと共におられた。
彼らはひれ伏して幼子を拝んだ。
マタイ2:10~11

 

 マタイ2:1~12
 イザヤ書60:1~6
 ルカ3:21~38(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/6;水)

 


 天使の万軍に号令し、これを動かしておられる方、
この私たちの歴史を導いておられる方、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)を信頼し、
この方により頼む人は幸いなのですね。

 


 紀元前700年頃のこと、
この方はイザヤを通して言われました。
「起きよ、輝け。
まことに、あなたの光が来る。
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)の栄光があなたの上に輝く。
 

 見よ、闇が地をおおっている。
暗黒が諸国の民を。


 しかし、あなたの上には【主】が輝き
主の栄光があなたの上に現れる。


 国々はあなたの光のうちを歩み、
王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。
 

 目を上げて、あたりを見渡せ。
彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。
あなたの息子たちは遠くから来る。

娘たちは脇に抱かれながら。
そのとき、あなたはこれを見て晴れやかになり、
心は震えて、喜ぶ。
それは、海の富があなたのところに移され、
国々の財宝はあなたのもとに来るからだ」(イザヤ60:1~5)と。

 


 それから700年ほど後のこと、
東方、おそらくはバビロニアあたりの占星術の博士たちは、
西の空に輝く特別の星を見て、
預言のとおりにユダヤに新しい王が生まれたことを悟り、
その星を目当てに、はるばる旅をして、
ダビデの町ベツレヘムへ導かれ、
幼子のイエスを見つけてひれ伏し、
礼拝したのだそうです。(マタイ2:1~12)

 

 このイエスが、およそ30歳の頃、
バプテスマのヨハネからバプテスマ(洗礼)を受けられた時、
【聖である霊】と呼ばれる方が、
鳩のような形をして、イエスの上に下って来られ、
そして、天から声がしたのだそうです。
「あなたはわたしの愛する子。
わたしはあなたを喜ぶ」と。

 

 このイエスは、確かに預言の言葉のとおりに
ダビデの子」として、
ダビデの子孫の一人であるマリアの胎を通して
人となられた方なのだそうです。(ルカ3:22)


 この方、人となられた【神の独り子イエス】、
また、このように、このイエスを人として人の世に派遣された
【父である神】を信頼し、より頼む人は
幸いなのですね。

今日も。

 

 

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幸せを得させようと。私たちにも、子や孫、その子や孫にも。

あなたがたの父が憐れみ深いように、
あなたがたも
憐れみ深い者となりなさい。
ルカ6:36(2021年の聖句)

 

恵みを示す者があろうかと、
多くの人は問います。
主よ、私たちに
御顔の光を向けてください。
詩4:7(1月の聖句)

 

私たちはその栄光を見た。
それは
父の独り子としての栄光であって、
恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネ1:14(1/3の週の聖句)

 

主は言われる:
どうか、彼らが生きているかぎり
わたしを畏れ、
わたしの戒めをことごとく守る
この心を持ち続け、
彼らも、子孫も
とこしえに幸いを得るように。
申命記5:29

 

 恵みによって心が強められるのは
すばらしいことです。
ヘブル書13:9

  

  創世記21:1~7
 ルカ3:7-14
(通読箇所)
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命のある限り、
恵みと慈しみとは私を追う。
主の家に私は帰り、
生涯、そこにとどまるであろう。
詩23:6

 

エスは言われる:
わたしが来たのは、
羊がいのちを受けるため、
しかも豊かに受けるためである。
ヨハネ10:10

 

 創世記9:12~17
 ルカ3:15~20(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/5;火)

 

 

  世の中の人は、
私たちに恵みを示す者などいない、
神などはいないと言います。

 

 しかし、天の神、【主】、
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私たち一人ひとりを深いあわれみをもって見守り、
接してくださるのだそうです。

 

 そして、イエスを神の独り子の栄光で輝かせ、
恵みとまことをもって私たちに接してくださり、
私たちの内にも、
ご自身を愛し、尊敬する思いを起こしてくださり、
私たちが生きているかぎり、
恵みと慈しみをもって私たちを包み、
私たちの心を強め、
いのちを豊かに与え、
私たち自身も、また、子ども、孫たち、
その子どもたち、孫たちも幸いを得るように
してくださるのだそうです。

 

 【聖である霊】と呼ばれる方によって
私たちの心にも
ご自身のあわれみ深い思いがあるようにして。
この新しい年も。

 

 

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