風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

主の御名によって来てくださる方の、祝福と平和の中で

私たちは、
あなたの深い憐れみのゆえに、
伏して、嘆願の祈りをささげます。
ダニエル書9:18(2/9の週の聖句)

 

 祝福あれ。
主の御名によって来る人に。
詩118:26

 

 キリストはおいでになり、
平和の福音を告げ知らせられました。
エフェソ書2:17

 

 マタイ20:1~16
 詩124(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/9;Ⅱ日曜)


 私たちが、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)に
祈りをささげることができるのは、

私たちに正しい行いができているとか、
私たちに何か求める資格があるからではなく、
この方の側の深い憐れみによるのですね。

 

 「祝福あれ。主の御名によって来られる方に」と
エスをお迎えし、平和をいただきながら。

 

 この方は、一日中、誰も雇ってくれなかった労働者が、
夕方、やっと雇われ、
1時間しか働かなかったときにも、
朝から働いていた者と同じ賃金を払ってくださる
あわれみ深い方ぶどう園の主人(マタイ20:1~16)
のような方、なのだそうですから。

 

 それで、この方に向かって私たちもうたうのですね。
「もしも、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方が
私たちの身方でなかったなら
人々が敵対してきたとき
そのとき 彼らは私たちを生きたまま
丸呑みにしていたであろう。
彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき
そのとき 大水は私たちを押し流し
濁流は私たちを越えて行ったであろう。
そのとき 荒れ狂う水は
私たちを越えて行ったであろう。」
 

 ほむべきかな 【主】
主は私たちを 彼らの餌食にはされなかった。
鳥のように 私たちのたましいは
仕掛けられた罠(わな)から助け出された。
罠は破られ 私たちは助け出された。
私たちの助けは
天地を造られた【主】の御名にある。(詩篇124)と。

 

 この方が下さる平和の中で。
今日も。

 

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