風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちの内にある、恵みの賜物は

主が民の霊を奮い立たせられたので、
彼らは出て行き、
彼らの神、
万軍の主の神殿を建てる作業に
取りかかった。
ハガイ書1:14

 

あなたのうちにある
恵みの賜物を
軽んじてはなりません。
Ⅰテモテ4:14

 

 使徒14:8~18
 エレミヤ書23:1~8(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句10/24;土)

 

 

バビロンの捕囚から帰って来た人々は、
すぐ、エルサレム神殿の再建に取りかかったのですが、
ユダの残留民やサマリヤ人の妨害に会い、
神殿再建は挫折してしまったのだそうです。

 

 そして、18年の時が過ぎ、
人々は、神殿再建よりも自分の家を建てることのほうに
力を注いでいたようです。

 

 その時、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、

預言者ハガイを遣わし、
「あなたがたは、
【主】の宮を建てるときはまだ来ていないと言っているが、
この宮が廃墟になっているのに
あなたがただけが板張りの家に住む時だろうか。
わたしはあなたがたとともにいる」
と民の心を励まし、民の霊を奮い立たせたので、
彼らは神殿を再建する作業に取りかかったのだそうです。

 

 パウロはテモテに、
「長老たちによる按手を受けたとき、
預言によって与えられた、あなたの内にある賜物を
軽んじてはなりません」と書き送っています。

 

 イエスの十字架刑での死と、
死人の中からの新しい霊のからだへの復活を通して
【父である神】からの賜物として
私たちにも来てくださっている【聖である霊】と呼ばれる方。

 

 この方が私たちの心に置いてくださる
【父である神】の御思い。

 

 私たちが、その御思いのとおりに行動を起こしていくとき、
そこに、【父である神】がしようと思われるとおりの御業が
起こって行くのですね。

 

 リステラ(今のトルコにある町)でのこと、
座って、パウロの話に耳を傾けていた、
生まれつき足が動かず、歩いたことのない人に、
パウロが、大声で、
「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」というと、
彼は飛び上がり、歩き出したように。(使徒14:8~10)

 

 また、エレミヤを通し、
イスラエルの家の末裔まつえいを、
北の地や、
彼らが散らされていたすべての地から上らせた【主】は、
生きておられる」と言って、
自分たちの土地に住むようになる」(エレミヤ23:8)
と言われたことばが、
2600年ほどを経た今日に起こっているように。

 

私たちにも。
今日。

 

 

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