風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

小さい者、弱い者、取るに足りない者を、あえて、選んで

エフラタのベツレヘム
ユダの氏族の中でいと小さき者。
お前の中からわたしのために、
イスラエルを治める者が出る。
彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。ミカ書5:1

彼は地位のある者を無力なものとするため、
世の無に等しい者、
身分の卑しい者や見下げられている者を
選ばれたのです。Ⅰコリント1:28

使徒10:(21~23)24~36
マタイ8:18~22(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句8/7;水)

ベツレヘム・エフラタ、
ユダの氏族の中で最も小さなもの。

 天の神、主、「『わたしはある(I am)』と名乗られる方は、その小さな村、ベツレヘムを、
ダビデ王が、そして、
キリストと呼ばれるイエスが生まれる村として用いられたのですね。
イスラエルを治める者が出る村として。

この方は、知恵あるものをはずかしめるために、
この世の愚かなものを選び、
強い者をはずかしめるために、
この世の弱い者を、
この世の取るに足りない者や見下されている者、
無に等しい者をあえて選ばれたのだそうです。
有るものをないもののようにするために。

 そして、当時、ユダヤの人々から見下されていた、
無に等しいものと思われていた異邦人の中からコルネリオを選んで、
エスによる神の救いが、
ユダヤ人の枠を超えて異邦人にも及ぶことの
証明とされたのだそうです(使徒10:21~36)。

 イエスは、
ご自身について来る者を弟子としてくださるのだそうですから(マタイ8:18~22)。
いと小さき者、無力なものを選んで。
今日も。

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ご自分の義を、私たちに着せようと

私の正しさを認める方は近くにいます。
誰が私を訴えるのか。
イザヤ書50:8

 

 イエスの言葉:
ザアカイ、急いで降りて来なさい。
今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。
ルカ19:5

 

 マタイ22:1~14
 マタイ8:14~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/6;火)

 

私を義としてくださる方は、
弁護者として私の近くにいてくださるのですね。

その方は、
私の受けるべき刑罰をご自身の身に負ってくださって
私に代わって死刑を受けて下さった方。

このご自身の贖(あがな)いにおいて私を弁護してくださる方。
誰も、
私自身が私を責めても、
この方が私を義としてくださるのだそうです。

 

 エリコの町の取税人の頭、ザアカイ。
同国人、ユダヤ人から、規定以上に税金を取り立てて私腹を肥やし、
町中の嫌われ者になっていたのだそうです。

 

エスが町をお通りになるというので、
彼は、イエスがどんな方か見ようとしたのですが、
背が低く、群衆のため見ることができなかったのですね。
それで前方に走り出て、道端のいちじく桑の木に登ったのですね。

エスは、ちょうどそこに来られて、
上を見上げて言われたのだそうです。
「ザアカイ。急いで降りて来なさい。
今日は、あなたの家に泊まることにしてあるから」、と。

 

ザアカイは、急いて降りて来て、
そして大喜びでイエスを迎えたのですね。

 

これを見て、人々は皆、
「あの方は罪人のところに行って客となられた」とつぶやいたのですが、

ザアカイは、イエスに言ったのですね。
「主よ。ご覧ください。
私の財産の半分を貧しい人々に施します。
また、だれからでも、私がだまし取った物は、4倍にして返します」と。
エスの救いを受けて。

 

 

エスはたとえをもってユダヤ人たちに話されたのですね。
「天の御国は、
王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。
王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、
彼らは来たがらなかった。

 

もう一度、ほかのしもべたちを遣わしたが、
彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出かけていき、
そのほかの者たちは、
王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。

 

王はしもべたちに言った。
「宴会の用意はできているが、
招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。
だから、大通りに出て行って、出会った者をみな宴会にまねきなさい。」と。
来た人に着せる婚礼の礼服をご自分の側で用意して(マタイ22:1~14)。

 

私たちのわずらいを身に引き受け、
私たちの病をご自身の身に背負って(マタイ8:17)。

今日も。

 

 

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陶工の手の中にある粘土のように

主よ、あなたは我らの父。
私たちは粘土、
あなたは陶工、
私たちは皆、あなたの御手の業。
イザヤ書64:7

 

 私たちは
神が前もって準備してくださった善い業のために、
キリスト・イエスにおいて造られました。
エフェソ書2:10

 

 ヨハネ6:47~56
 マタイ8:5~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/5;月)


 陶工が、粘土で、自分の思った通りのものを形づくるように、
天の神、主、「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たち人間のひとりひとりを、
ご自身が思っておられように造られたのだそうです。

 この方は、私たちが善い業に進むようにと、
善い業を前もって準備され、
それを、私たちを通して実現されるのだそうですから。 

 

 【父である神】は、
【御子である神】を人間イエスとして、
「いのちのパン」として、天から地上に下らせなさいました。

 そして、食べ物と食べた人が一つになっているように、
エスを食べる、イエスと思いを一つにする者を通して、
【父である神】は、
その、しようと思われる「善き業」を成し遂げられるのだそうです(ヨハネ6:47~56)。

 

 

 ちょうど、兵が、隊長の言葉をその通りにするように、
すべてのものはイエスの言葉に従うのだそうです。
ひとり、人間を除いては。

 

 中風で死にかけていた百人隊長のしもべが、
エスが百人隊長に
「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように」と言われた、
その時にいやされたように。

 

 私たちも、
神が前もって準備していてくださる善い業の中へと。

今日も。

 

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王となられたイエスが、全地に臨まれ

あなたがたはもはや、
外国人でも寄留者でもなく、
聖なる民に属する者、
神の家族である。エフェソ書2:19(8/4の週の成句)

 

 聖なる、聖なる、聖なる万軍の主、
主の栄光は、地をすべて覆う。
イザヤ書6:3

 

 ハレルヤ。
全能者であり、
私たちの神である主が王となられた。
私たちは喜び、大いに喜び、
神の栄光をたたえよう。
黙示録19:6~7

 

 ヨハネ6:1~15
 詩119:105~112(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句8/4;Ⅰ日曜)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
遠く離れていた私たち、
キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、
約束の契約については他国人であり、
この世にあって、望みもなく、神もない者であった私たちを、
キリスト・イエスの中にいる者とし、
キリスト・イエスの血によって、近い者としてくださったのだそうです。

 

 それで、私たち、今は、他国人でもなく、寄留者でもなく、
聖徒たちと同じ国民であり、神の家族にしていてくださるのだそうです。

 

 

 イエスは、あの時、
エスガリラヤ湖の向こう岸の人里離れた寂しいところに行かれたあの時、
多くの人々がイエスを追いかけて来たので、
神の国のことを語られたのですが、

 日も傾きかけたころ、
人々をそのまま、空腹のまま帰らせるのはかわいそうに思われて、
壮年の男だけで5千人はいた人々を、
少年が持っていた大麦の5つパンと小さな2匹の魚で
人々を満腹にしてくださったあの時、


 人々がイエスを王にしようとして
エスを無理やりに連れて行こうとしたあの時は、
ただ一人山へ退かれたのですね(ヨハネ6:1~15)。

 

 あの時は、
エスは、ご自身をすべての人の身代わりとして、
すべての人の「的外れ」の責任をご自身に負って、
十字架刑での処刑を受けるために人の世に来られたのでしたから。

 

 しかし、今すでに、十字架刑での処刑を受けられて、
私たちの「的外れ」になっている「生まれたときからの私」という霊を
処刑済み、死んだものとし、

 

 三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の父である神の右の座に復帰され、

 

 そこから、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、
この方によって受け入れる者の心に【父である神】の御思いを置き、
受け入れる者が【父である神】と心を一つにして生きる、

 受け入れる者が聖なる民に属する者、
神の子とされ、神の家族として生きる道が開かれた今は、

 

 イエスは聖なる【万軍の主】、
王の王、主の主として全地に臨まれるのですね。

 

 それで私たちは、喜び、大いに喜び、
神の栄光をほめたたえながら、
神の御言葉、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いを私の足のともしび、私の道の光とし、
この方の御思いが成ることに心を傾けながら歩むのですね(詩篇119:105~112)。

この新しい週も。

 

 

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御子をさえ惜しまずに死に渡されたのですね。私たちのために

遠くにいる者よ、
わたしの成し遂げたことを聞け。
近くにいる者よ、
わたしの力強い業
(わざ)を知れ。イザヤ書33:13

 

 私たちすべてのために、
その御子をさえ惜しまずに死に渡された方は、
御子と一緒にすべてのものを
私たちに賜らないはずがありましょうか。
ロマ書8:32

 

 黙示録3:1~6
 マタイ8:1~4(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/3;土)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
ご自身の側で一方的に、
私たち、すべての人間のために成し遂げてくださった力強い御業
(みわざ)
それを聞き、知ってほしい、
体験してほしいとおっしゃるのですね。

 

愛する独子(ひとりご)さえも惜しまれずに、
その独りである方を人として人の世に派遣し、
この方がおよそ33歳のころ、
すべての人間の「的外れ」の責任をこの方に負わせて、
罪を贖(あがな)う贖いの小羊として立て、
当時のユダヤの指導者たちのねたみ心を用い、
ローマ兵の手によって十字架刑で処刑されたのだそうです。

 

この方の死によって、
私たち人間の
「的外れ」になっている〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済み、死んだものとしてくださるために。


 そして、そのうえで、
これを受け取った者に、もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださって、
この【聖である霊】と呼ばれる方によって、
受け入れる者の心にご自身の御思いを置いてくださり、
受け入れる者の心にご自身の御思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と思いを同じくし、
心を一つにして生きるようにしてくださるのだそうです。

 

これを体験し、知ってほしいと言われるのですね。

 

そして、すでに受け取ったけた者には、
目を覚まして、
どのように受け、どのように聞いたのかを思い出し、
立ち帰り、留まり続けなさい、と。

 

 勝利を得る者は、白い衣を着て、
エスとともに歩むようになるのだそうですから。

 

 イエスは言われます。
「わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。
わたしは彼の名を
わたしの父の御前とみ使いたちの前で言い表す」(黙示録3:1~5)、と。

 

 この方が、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われると、
ツァラアト(ハンセン病のような、当時、治療不能な、伝染性の重い病気。)の人も
いやしていただけたのだそうですから(マタイ8:1~4)。

 

 この方が成し遂げてくださっている御業の中へ。
今日も。

 

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敵をも愛し、何も当てにしないで貸す心も与えてくださって

主に喜ばれる道を歩む人を、
主は敵と和解させてくださる。
箴言16:7

 

 あなたがたは敵を愛しなさい。
人に善いことをし、
何も当てにしないで貸しなさい。
そうすれば、たくさんの報いがあり、
いと高き方の子となる。
ルカ6:35

 

 1コリント12:12~18
 マタイ7:24~29(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/2;金)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
ご自分の道を歩む者を、
敵とさえも和解させてくださるのだそうです。

 

 イエスは言われます。
「ただ、自分の敵を愛しなさい。
彼らによくしてやり、
返してもらうことを考えずに貸しなさい。
そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、
あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。
なぜなら、いと高き方は、
恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです」(ルカ6:35新改訳)、と。

 

 このような思いは、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
「的はずれ」になっている私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊からは出て来ません。

 

 けれども、【父である神】は、
その、〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスの十字架刑での処刑に合わせてくださって、
処刑済み、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そして、死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰なさったイエスが、
その、【父である神】の右の座にあって派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方。

 この方が、受け入れる者の心に
【父である神】の御思いを置いてくださるのだそうです
(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:25~27)。

 

 それで、受け入れる者の心に、
このような【父である神】の御思いがあるようにも
していただけるのだそうです。

 

 ちょうど、
からだが、その人の思うように動くように、
受け入れる者も、
イエス・キリストのからだの部分としていただいて
(1コリント12:12~18)、
【父である神】の御思いを実現していく者にと。

 

 〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いを土台とし、
砂地の上に人生という家を建てていた私たちも、
【聖である霊】と呼ばれる方が心においてくださる
【父である神】の御思い、
岩盤の上に家を建てる者(マタイ7:24~27)に変えていただいて。
今日も。

 

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いつも、そばにいて、助け、支えてくださる方

主よ、
あなただけは、
私を遠く離れないでください。
私の力の神よ、
今すぐに私を助けてください。
詩22:20

 

 パウロの手紙:
私は神からの助けを今日までいただいて、
固く立ち、
小さな者にも大きな者にも証しをしてきました。
使徒26:22


 マタイ18:1~6
 マタイ7:12~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/1;木)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方だけは、
いつも、私のそばにいてくださり、
すぐに私を助けて下さる方。

 わが力、わが岩、わが砦。

 私たちが何事かを成し遂げられるのも、
この方の助けと支えがあってのこと、なのですね。
パウロがそうであったように。

 

 

 イエスの12弟子たちも、私たちと同じように、
だれが一番偉いかが気になっていたようです。

 

 そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、
彼らの真ん中に立たせて言われたのだそうです。
「まことにあなたがたに告げます。
あなたがたも方向転換して子どもたちのようにならない限り、
決して天の御国には、入れません。

 だから、この子どものように、
自分を低くする者が、
天の御国で一番偉い人です。

 

 また、だれでも、このような子どものひとりを、
わたしの名のゆえに受け入れる者は、
わたしを受け入れるのです」(マタイ18:1~5新改訳)、と。

 

 小さい子どもが親の助け、支えを
ストレートに受けていくように、
神の助けと支えを受け取るということでしょうか。

 

 天の神、主は、私たちを
「何事でも、自分にしてもらいたいと思うことは、
ほかの人にもそのようにする」ように。

 

 滅びに至る大きくて広い道の門からではなく、
いのちに至る、小さくて狭い道の門から入る者に。

 

 「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
(創世記3:5、22)、
〔生まれたときからの私〕という霊から来る思いによる信仰ではなく、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心においてくださる
【父である神】の御思いによって歩む者としていただいて
(マタイ7:12~23)。
今日も。

 

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