風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神に助言し、教える者から、神に聞いていく者へ、と

助言が多すぎて、
お前は弱ってしまった。
イザヤ書47:13

 

弟子たちがイエスと所に来て
「一体誰が天の国で一番偉いのでしょうか」
と言った。
そこでイエスは一人の子供を呼び寄せ、
彼らの中に立たせて言われた。
「はっきり言っておく。
心を入れ替えて子供のようにならなければ、
決して天の国に入ることはできない。
」マタイ18:1~3

 

 哀歌5:1~22
 マルコ8:10~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/21;金)


 助言をする者は、助言を受ける人よりも、
自分を、良く分かっている者、上の者としているのでしょうね。
そして、助言する者が多すぎると、かえって、どの助言を受け取っていいのか分からなくて疲れてしまう。

 

 けれども、天の御国に入るのは、
神に助言をし、神に教える、
自分を高くする者ではなく、
子どものように自分を低くする者のようです。

 

 自分の理性に信頼し、
自分の理性で事の善悪を判断していくところから、
向きを変え、心を入れ替えて、
天の神、主の善悪の判断を聞いていく者に。

 

 自分の〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いを
死んだものから出て来た思いであるとして、
エスの御前に投げ捨てながら、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いに聞いていく者、
心の貧しい者、のようです。

 

 イエスに向かって、
「お前が神から来た者だと俺たちが判断できるように、
しるしを行って見せろ」と
要求する人たち(マルコ8:10~13)ではなく、

自分の「的外れ」の存在に嘆く人のようです。

バビロン軍によって荒廃したエルサレムを見て嘆く
エレミヤのように。

 

 「【主】よ。私たちに起こったことを心に留め、
私たちの汚名に目を留めて、よく見てください。
私たちのゆずりの地は他国人の手に、
私たちの家は異国の民の手に渡りました。
私たちは父のいないみなしごとなり、
母はやもめのようになりました。
私たちは自分の水を代価を払って飲みます。
私たちはくびきを負って、追い立てられ、
疲れ果てても憩いを与えられません。
女たちはシオンで、
乙女たちはユダの町々で、辱められ、
長老たちは彼らの手で木につるされ、
若い男たちはひきうすをひかされ、
幼い者たちは薪を背負ってよろめきました。

私たちは、ああ、罪ある者となりました。
【主】よ。あなたはとこしえに御座に着かれ、
あなたの王座は代々に続きます。
なぜ、いつまでも私たちをお忘れになるのですか。
【主】よ。あなたのみもとに帰らせてください。
そうすれば、私たちは帰ります。
昔のように、私たちの日々を新しくしてください。
あなたが本当に、私たちを退け、
極みまで私たちを怒っておられるのでなければ」(哀歌5:1~22)と。

 

 私たちも、向きを変え、
心を入れ替えていただいて。
今日も。

 

 

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